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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)6581号 判決 1979年5月21日

原告 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 戸塚悦朗

被告 国

右代表者法務大臣 古井喜實

右指定代理人 宮北登

<ほか一名>

被告 東京都

右代表者知事 鈴木俊一

右指定代理人 門倉剛

<ほか三名>

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  原告の求める裁判

(一)  被告らは各自原告に対し、金一七四万六、二二三円及び、これに対する昭和四九年二月一八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  被告東京都は原告に対し、金四六万円及び、これに対する昭和四九年一月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は被告らの負担とする。

(四)  仮執行の宣言

二  被告らの求める裁判

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

(三)  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  原告は昭和四九年一月二八日当時、訴外学校法人明治学院大学(以下「明治学院大学」という。)の学生であり、訴外山田末広は当時、警視庁高輪警察署勤務の警察官として被告東京都の、また訴外市川敬雄は当時、東京地方検察庁の検察官として被告国の、それぞれ公権力の行使にあたる公務員であった。

(二)1  明治学院大学では昭和四九年一月ころ、同年四月以降の授業料等値上の計画をめぐり大学側と学生側との間に対立が生じ、両者間に交渉が重ねられていたところ、同大学は、同年一月二八日早朝学生の学内立入禁止措置をとり同大学の正門などを閉鎖するに至った。ところが、訴外乙山太郎ほか一名の学生は、右同日午前九時三〇分ころ右立入禁止措置を排して右大学正門から入構し、これを契機に多くの学生が正門から入構し始め、原告が右正門前に到着した同日午前一〇時四〇分ころには、既に正門は通常の如く開扉されており、構内への立入が禁止されているような状況ではなかったので、原告も他の多くの学生とともに正門から平穏に入構した。

2 ところが、前記山田警察官は、原告が前記乙山とともに明治学院大学正門から大学構内に侵入した学生であると誤認し、右同日午後〇時五五分ころ原告を建造物侵入の現行犯人として誤認逮捕した。

3 また前記市川検察官は、高輪警察署長から原告について身柄拘束のまま建造物侵入の被疑事実により事件送致を受けるや、原告が右被疑事実に該当する犯罪を犯していないにもかかわらず昭和四九年一月三一日東京地方裁判所から勾留決定を得たうえ、同年二月一八日同裁判所に対し、原告を建造物侵入罪により身柄拘束のまま起訴(公判請求)した。

4 しかし同裁判所は、昭和五〇年一二月二二日被告人たる原告に対し無罪の判決を言渡し、右判決は同五一年一月六日確定した。

(三)  前記山田警察官は、基本的人権にかかわる逮捕という強制捜査権を有する警察官として、その職務を遂行するにあたり、いやしくも被疑者を誤認し犯罪を犯していない者を逮捕することのないよう細心かつ高度の注意を払うべき義務があるのに、これを怠り前記乙山太郎と共に侵入した学生を初めて一瞥したにすぎないにもかかわらずその二、三時間経過後に原告を見て右侵入学生と同一人物であると軽信し、原告を誤認逮捕したものである。従って、同警察官が原告を逮捕した行為は、公権力の行使にあたる公務員のなした違法かつ有責な行為である。それゆえ被告東京都は、右山田警察官の違法有責な職務行為によって原告に生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

(四)  前記市川検察官は、基本的人権に重大な影響を与える公訴権を独占する検察官として、その職務を遂行するにあたり被疑者に充分な嫌疑があるか否か、また公判を維持し有罪判決を得るに足りる充分な客観的証拠があるか否かを充分に捜査し審査して、いやしくも被疑者を誤認し犯罪を犯していない者を起訴することのないよう厳重かつ最高度の注意を払うべき義務があるのにこれを怠り、現場を目撃していた訴外和田昌衛明治学院大学学長及び同中村仁一同大学総務部長ら原告の顔を良く知っている者達の捜査を充分に遂げず、かえって誤認逮捕した前記山田警察官らの供述を盲信し、これを唯一の証拠として漫然と、原告が昭和四九年一月二八日午前九時三〇分ころ明治学院大学に故なく侵入したものと速断し起訴(公判請求)するに至ったものである。従って、同検察官が原告を身柄拘束のまま公判請求した行為は、公権力の行使にあたる公務員のなした違法かつ有責な行為である。それゆえ被告国は、前記市川検察官の違法有責な職務行為によって原告に生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

(五)  原告は、前記山田警察官及び市川検察官の違法有責行為により左の損害を被った。

1 財産的損害(刑事事件関係)

原告は、誤認逮捕され身柄拘束のまま公判請求されたため、昭和四九年二月ころ訴外戸塚悦郎弁護士に弁護を依頼せざるをえなかったところ、同弁護士との間の第二東京弁護士会報酬規定に基づく契約により金五三万九、八八五円(手数料金八万円、出廷費用金八万円、諸費用金七万九、八八五円、報酬金三〇万円)を支払うこととなっている。

2 慰藉料

原告は、昭和四九年一月二八日誤認逮捕され、同年二月一八日公判請求されたが、同年三月一日保釈された。従って原告は、右身柄拘束を受けた三三日間、人身の自由を剥奪され獄中生活を強いられたものであり、その間の精神的損害は一日当り金二万円を下るものではないから、誤認逮捕以降保釈迄の右精神的損害は合計金六六万円(公判請求以降保釈迄のそれは合計金二四万円)を下るものではない。

また原告は、保釈以降無罪判決確定に至るまで二二か月間にわたり出廷応訴を強いられたものであり、この間原告の被った精神的損害は甚大なものがあるが、これを金銭に換算した場合一か月金三万円を下るものではないから、保釈以降無罪判決確定迄の精神的損害は合計金六六万円を下らない。

3 財産的損害(民事事件関係)

以上の合計金は金一八五万九、八八五円(但し公判請求前の精神的損害を除いた場合には金一四三万九、八八五円)となるところ、被告らが民事訴訟によらなければ本件の損害賠償請求に応じないことは先例上明らかであるから、これが提起・遂行のために要する弁護士費用のうち右損害合計金の一割に相当する金一八万五、九八八円(前同様の場合には金一四万三、九八八円)は、被告らの前記不法行為と相当因果関係にある損害というべきである。

また原告は、本件訴訟において被告らの不当な抗争のため書類の閲覧謄写費用など合計金一六万二、三五〇円の支払を余儀なくされたが、右出損も被告らの右不法行為と相当因果関係にある損害というべく、仮にそうでないとしても、原告は、被告らの本件訴訟に関する不当抗争の慰藉料として右金員の支払を求める。

4 まとめ

しかして、被告東京都は前記誤認逮捕以降原告に生じた損害を賠償すべきであり、被告国は前記起訴(公判請求)以降原告に生じた損害を賠償すべきであって、右起訴(公判請求)以降の損害に関する被告両名の責任は不真正連帯関係にあるものというべきである。

以上の見地に立って被告ら各自が原告に賠償すべき損害額を計算すると、被告東京都は金二二〇万八、二二三円、被告国は金一七四万六、二二三円(前記身柄拘束期間中公判請求前の精神的損害等を除いたもの)となる。

(六)  よって、原告は国家賠償法一条に基づき、被告ら各自に対し損害賠償金一七四万六、二二三円及び、これに対する前記公判請求の日である昭和四九年二月一八日から、また被告東京都に対しその余の損害賠償金の内金四六万円及びこれに対する前記誤認逮捕の日である同年一月二八日から、各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告国の認否

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)1の事実のうち、昭和四九年一月二八日午前一〇時四〇分ころの明治学院大学正門付近の状況及び原告に関する部分は否認し、その余は認める。

同(二)2の事実のうち、山田警察官が昭和四九年一月二八日午後〇時五五分ころ原告を現行犯人として逮捕したことは認め、その余は否認する。

同(二)3の事実のうち、原告が被疑事実に該当する犯罪を犯していなかったことは否認し、その余は認める。

同(二)4の事実は認める。

(三)  同(四)の主張は争う。

(四)  同(五)1の事実は不知。

同(五)2の事実のうち、原告が昭和四九年三月一日保釈されたこと、原告の身柄拘束期間が三三日間であることは認めるが、その余は争う。

同(五)の3ないし4は争う。

三  請求原因に対する被告東京都の認否

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)1の事実のうち、昭和四九年一月二八日午前九時三〇分ころ乙山太郎とともに明治学院大学構内に侵入した者が一名であったこと、原告が同大学正門に至ったころ、右正門が通常の如く開扉されており構内への立入が禁止されているような状況ではなかったこと、原告が他の多くの学生とともに平穏に入構したことは否認し、その余は認める。

同(二)2の事実のうち、山田警察官が昭和四九年一月二八日午後〇時五五分ころ原告を現行犯人として逮捕したことは認め、その余は否認する。

(三)  同(三)は争う。

(四)  同(五)の事実のうち、原告が公判請求されたこと、原告が昭和四九年三月一日保釈されたこと、原告の身柄拘束期間が三三日間であること、公判請求から無罪判決確定迄二二か月を要したこと、原告が本訴提起のため弁護士に訴訟委任したことは認め、その余は不知。損害額は争う。

四  被告国の主張

公訴提起(起訴)に際し必要とされる犯罪の嫌疑の程度は、有罪判決において要求される証明の程度とは自ら異なるものというべきであるから、公訴提起の際の検察官の判断が裁判所の判断と一致せず無罪となったからといって、遡って直ちに検察官の公訴提起行為が違法となるものではない。

そして、本件の如く有罪無罪の判定が事実認定の如何にかかっている場合には、検察官が可能な限り収集した手持証拠資料のうち刑訴法の証拠法則に従って公判に提出しうる証拠資料に基づき裁判所において将来有罪判決を得る見込みがあると合理的に認めうる限りは、裁判所の最終的判断内容如何にかかわらず、検察官のした公訴の提起、追行は違法性がないものというべきである。

ここにいう「将来有罪判決を得る見込みがある場合」とは、逮捕、勾留について刑訴法が要求する「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」がある場合よりは高度の犯罪の嫌疑がある場合をいうが、有罪判決をする場合に要求される「合理的な疑いをいれる余地のない程度」までの証明があることを意味するものではない。

以上の如く、検察官の公訴提起が違法有責であるというためには、当該検察官においてその自由心証の範囲を著しく逸脱し、通常の検察官であれば公訴提起できるという心証に達しないであろう事案について公訴提起した場合でなければならない。

本件公訴提起当時、市川検察官が収集していた証拠資料の中で最も重視したものは、原告を現行犯逮捕した山田、一村両警察官の現行犯人逮捕手続書、両警察官らの各現認報告書及び検察官に対する供述調書、明治学院大学正門前で警戒に当っていた和田学長及び中村総務部長の検察官に対する供述調書などであり、市川検察官は、これらの証拠資料を総合検討した結果原告が昭和四九年一月二八日午前九時三〇分ころ明治学院大学正門から同大学構内に侵入したとの被疑事実につき有罪判決が得られるとの合理的心証を得、これに基づいて公訴を提起したものであるから、同検察官の右行為は違法・有責なものとはいえない。

五  被告国の主張に対する原告の反論

市川検察官が公訴を提起するに際し収集しえた証拠のうち、原告の容貌を良く知っており現場を目撃していた和田学長、中村総務部長の検察官に対する供述調書の内容は、同人らの刑事事件公判廷における証言と異なるものではなく、その要旨は、昭和四九年一月二八日午前九時三〇分ころ乙山らが正門から入構した際に原告も入構したことは確認していなかったというものである。また、右時期ころ正門前付近で写真撮影活動に従事していた訴外永野公弘警察官が作成した写真撮影報告書にも原告の姿は認められず、市川検察官はこのことに熟知していたのである。従って、同検察官は結局、原告の侵入を現認したという山田警察官らの供述のみを根拠に公訴提起したものといえるところ、同警察官らの、現行犯逮捕直後作成にかかる現認報告書によれば、原告は乙山とともに最初に構内に侵入した者として記載されているのに対し、前記写真撮影報告書に乙山の姿は写っているのに原告の姿が写っていないことが判明するや、一転して原告は乙山らが侵入した後に引き続いて構内に侵入した者の一人であったとその供述を翻しているのであり、刑事判決においても右山田警察官の供述は極めて不自然不合理で措信しえないものとして一蹴されているのである。

従って市川検察官は、専ら山田警察官らの供述等に漫然依拠し、原告が昭和四九年一月二八日午前九時三〇分ころ明治学院大学正門から侵入したとの被疑事実について有罪判決を得る見込みがあると軽信したものであるから、同検察官の右心証形成は著しく不合理なものであって、その公訴提起行為は違法かつ重大な過失に基づくものであることは明らかである。

六  被告東京都の主張

警視庁高輪警察署長は、昭和四九年一月二七日明治学院大学から、翌二八日以降学生の構内立入を禁止することに決定した旨の連絡を受けたため、同月二八日早朝視察・警戒のため同署の山田・一村両警察官らを同大学正門付近に派遣した。

明治学院大学では、右同日午前八時ころには各出入口を施錠封鎖するなどの措置を完了し、大学当局者が各出入口付近に位置して警戒に当っていた。また、その正門の外側直近右側の掲示板には、右同日付の同大学名義による「当分の間学生の立入を禁止する。」旨の掲示を、正門の内側守衛所屋上には、同様に「特に許可する者を除き当分の間学生及び学外者の立入を禁止する。」旨の立看板を設置した。

そして、同大学の和田学長は、右同日午前八時五分ころ高輪警察署長に対し、右立入禁止措置に従わずに構内に不法侵入する者などを逮捕するよう要請し、その旨の同学長及び同大学学院長訴外武藤富男連署の要請書を提出した。

しかるところ、右同日午前九時三〇分ころ建築資材を積載したトラックが同大学正門から入構し、大学職員らが再び正門を閉めようとした際、乙山太郎ら三、四名の男が同所で警戒に当っていた和田学長ら大学当局者の制止を振り切って正門を押し開き大学構内に侵入した。これに引き続いて「年齢二〇歳位、身長一七五センチメートル位、髪が長く緑色のコート、白色のジーパン及び茶色のブーツを着用した男」(原告)ら三、四名の男女が大学構内に侵入した。そして右侵入した者らは、和田学長らを構外に押し出したりするとともに、正門前付近に蝟集していた学生らに対し大学構内に侵入するよう呼びかけていた。

右大学正門前付近で視察・警戒中の山田警察官らは、右の一連の状況を現認したが、数名の警察官で直ちに原告らの逮捕活動に出ることは多数の学生との間に紛議をかもす虞があることを考慮し、逮捕時機を待つべく更に視察を続けた。その後、多くの学生らが続々と大学構内に侵入したため、和田学長は、右同日午前一〇時四五分ころ高輪警察署長に対し、侵入学生に対して退去通告を行うから右警告に従わない学生を建造物侵入不退去で逮捕するなどの警察上の措置をとるよう求めたので、同署長は警視庁機動隊員らを右大学付近に配備し警戒に当らせるなどした。

他方原告は、右同日午後〇時二四分ころ同大学正門脇の守衛所前において、右正門前付近にいた学生らに対し「朝我々が来たときはロックアウトされていた。ロックアウトは認められない。」と演説を行うなどし、また大学構内に侵入するよう煽動した。

かくするうちに、高輪警察署長は、右同日午後〇時四五分ごろ和田学長らに対し学生らの退去を求める警告を行うよう求め、これを受けて和田学長ら大学当局者は、同大学構内中央付近に位置するヘボン館付近にいた学生に対し、表側に「本日より当分の間学生の構内立入を禁止する。」旨の、また裏側に「学生は学内立入禁止です。直ちに学外に退去してください。」と表示されたプラカードを頭上高く掲げて警告を行い、また武藤学院長は、携帯マイクを使用して「構内は立入禁止です。学生諸君は退去してください。」などと繰返し退去を求めながら徐々に正門方向に向った。

しかし、構内の学生らは右学長らの警告に従わなかったので、高輪警察署長は、右同日午後〇時五〇分ころ警察部隊に学生らを構外に排除するよう指示し、これを受けて機動隊員らは、構内の学生に対し携帯マイクを使用するなどして大学構内から退去するよう警告しながら正門方向へ進み、一部の学生らは徐々に正門方向に退去し、正門から学外に退去し始めた。

ところが原告は、機動隊入構の声を聞くや、正門前の守衛所付近から前記ヘボン館方向へ向い、おりから警察部隊によって規制されてきた約二〇〇名の学生集団に入り込み、その先頭部に位置して指揮煽動し、右集団は正門前付近の構内でスクラムを組み警察部隊に向け体当りをくり返した。

そこで、それまでの原告の行動を正門付近で現認していた山田、一村両警察官は、警察部隊が学生らの排除活動に入ったのを機に、再三の大学側の警告及び警察部隊の規制にも従わず抵抗している原告を建造物不退去罪の主謀者として逮捕すべく正門から構内に入り原告の動向を注視していたところ、偶々原告が前記学生集団を離脱し後方に移行しようとしたので、山田警察官らは原告に接近し、右同日午後〇時五五分ころ、原告に対し、建造物不退去罪で逮捕する旨告げ、建造物不退去罪の現行犯人として逮捕した。

以上の次第で、山田警察官らが原告を建造物不退去罪の現行犯人と認めて逮捕したことについては何らの誤認がなく、適正な職務執行行為というべきであるから、その行為には違法な点はない。

七  被告東京都の主張に対する原告の反論

原告が昭和四九年一月二八日午前九時三〇分ころ明治学院大学正門から侵入した事実のないことは、既に刑事事件の判決において確定しており、山田警察官が原告の侵入を目撃したというのは誤認であったことが明らかである。そもそも、ひとたび刑事事件判決で確定した判断は、民事訴訟においても当然に又は再審事由等の如き重要かつ確固たる事実のなき限り、争いえないものというべきであるから、刑事事件判決で確定した判断に背反する被告東京都の主張はそれ自体失当である。

原告は、昭和四九年一月二八日午前八時五〇分ころから同一〇時三〇分ころまでの間、目黒駅前の喫茶店ロイヤルに他の学生らとともにいて、明治学院大学の状況等を検討していたが、とりあえず大学に赴くこととし、同一〇時四〇分ころ、おりから大学に行こうとしていた同大学の大西亨邦教授と同道して同大学正門前に到着した。そして原告は、立入禁止の掲示等も見られない正門から大学構内に入り、そのまま正門前付近に滞留していたが、機動隊が大学構内に入ったとの知らせを聞きその様子を見るべくヘボン館方向に向ったところ多数の学生が正門方向に向けて歩いて来るのに出会った。その後、原告も正門方向に向ってゆっくり歩いていたところ、正門前道路は大学構内から出てきた学生であふれており、正門も閉まっていたため、学外に退去しようとしていた学生らはやむなく正門前付近で立ち止まり機動隊の方に向き直ってシュプレヒコールをしていた。そのころ原告は、右学生らをかきわけて正門から構外に出ようとしたところ、山田警察官に逮捕されたのである。以上のとおり、原告が前同日午前九時三〇分ころ明治学院大学に故なく侵入した事実は全くない。

なお、被告東京都は、山田警察官が原告を建造物不退去罪で逮捕した旨主張するが、これは現行犯人逮捕手続書を始めとする右山田警察官ら作成の捜査報告書及び同警察官の刑事公判廷における供述とも矛盾するものであるし、前記の事実関係に徴して明らかなとおり、原告において不退去罪に該当する事実もない。

第三証拠《省略》

理由

一  被告東京都に対する請求について

原告が昭和四九年一月二八日当時明治学院大学の学生であったこと、山田末広が当時警視庁高輪警察署勤務の警察官として被告東京都の公権力の行使にあたる公務員であったこと、同警察官が右同日午後〇時五五分ころ原告を現行犯人として逮捕したこと、以上は、いずれも原告と被告東京都との間に争いがない。

そして、《証拠省略》によれば、山田警察官らは、「原告がほか多数の学生らとともに、昭和四九年一月二八日午前九時半ころ、構内立入禁止中の東京都港区白金台一丁目二番三七号所在明治学院大学(学長和田昌衛管理)正門から教職員の制止を無視して構内に侵入し、和田学長の再三の退去要請にもかかわらず、同日午後〇時五五分ころまでの間構内から退去しなかった。」ことを同警察官らが現認した被疑事実とし、建造物侵入(不退去)罪の現行犯人として原告を逮捕したこと、また、《証拠省略》によれば、明治学院大学は昭和四九年一月二八日早朝から学生の構内立入を禁止し、正門を含む各出入口を封鎖(ロックアウト)したこと、以上の事実が認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

ところで、原告が前記被疑事実記載の時刻に同記載のような態様で明治学院大学構内に侵入したとの点については、《証拠省略》中に右事実に副うものがあるけれども、それは、《証拠省略》によって認められる事実とくに、和田昌衛明治学院大学学長及び中村仁一同大学総務部長は、ともに前同日午前九時半以前から同大学正門付近にいて、学生が立入禁止措置を無視して入構することのないよう監視していたこと、右両名ともかねてより、いわゆる過激派学生と目されていた原告の容貌等を知悉していたこと、右同日午前九時半ころロックアウトを破り教職員の制止を無視して正門から構内へ侵入した者は少人数にすぎなかったこと、ところが右和田、中村両名とも、そのころ原告が同大学正門から構内に侵入するところを目撃していないこと、なお当時侵入学生の中で覆面等をしているものはいなかったことなどと対比すると直ちに採用できないものであって、結局、《証拠省略》によっても、原告が前記被疑事実記載の時刻に同記載のような態様で明治学院大学に侵入したものと認めるのは不十分であるといわざるを得ず、他にこれを認めることができる的確な証拠はない。

しかしながら、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

明治学院大学では、授業料等値上をめぐり大学当局側と一部学生側との間に対立を生じ、一部学生による大学施設の占拠や、いわゆる大衆団交方式による学長等の吊し上げが行われたことなどから、昭和四九年一月二八日に予定されていた全学集会を中止するとともに同日早朝からロックアウト体制をとることとした。そして同大学では、正門を始めとする各出入口を封鎖し教職員らが付近に待機して学生の侵入を監視警戒していたのであるが、正門については扉に閂をかけ横に二本の鉄棒をわたし門扉に針金でくくりつけるという厳重な措置を施し、また、正門扉外側左右の見易い場所及び正門内守衛所屋上付近に同大学名義で学生の構内立入を禁止する旨の掲示を貼布した。午前九時ころから正門前に学生が集まり始めたが、掲示を見て帰る者もあり、またその付近に滞留する者もいた。ところが、午前九時半ころ偶々工事用トラックが正門から入構した機に乗じて乙山太郎ほか一名の学生が正門前で警戒中の和田学長らの抵抗を排して正門から構内に侵入し、当時正門付近に参集していた数十人の学生に対し構内への侵入を煽動するとともに、正門左右扉を完全に開扉した。そのため、正門後方から構外の学生に対して構内へ侵入しないように警告を続けていた和田学長らの努力にもかかわらず、正門前に参集していた学生は少しずつ構内に侵入し始め、侵入後も正門付近に踏みとどまっていた。こうして午前一〇時半ころには、正門前構内に数十名の学生が侵入していたところ、原告は、遅くも午前一〇時四〇分ころまでに、構外では多数の学生が集まり構内では乙山太郎らがアジテーションを行うなど喧噪をきわめた状況の中で、同大学正門から構内に侵入したのであるが、当時正門前守衛所屋上等には依然立入禁止の掲示が貼布されたままであった。そして原告は、侵入後自らもハンドマイクをとり、依然構外にいて構内に侵入することをためらっている多数の学生に対し、「自分の学校に何故入っていけないのか。入ろうじゃないか。」などとアジテーションを行った。また、これと前後して、原告は、構内奥に侵入した際、学生らに連行されていた渡辺栄明治学院大学社会学部長と遭遇し、同学部長に対し、「先生これはどういうことですか。ひどいじゃないですか。」と大学側の一連の措置を非難した。その後原告は、午後〇時半ころ、正門前守衛所付近の構内において、守衛所備付のマイクを用いて「我々が朝来たとき既にロックアウトされていた。当局側は一方的に約束を破ってロックアウトをした。」などとアジテーションを行い、また守衛所屋上に上って正門前付近の路上に滞留している学生らに対し、「機動隊が間もなく入るから、これをさせないため皆も中に入れよ。」と侵入を煽動し、所持していた笛をくわえたり、マスクで顔面を隠したりしながら構外の警察部隊の動向を監視していた。ところが午後〇時五〇分ころ、構内から「機動隊が入った。」との叫びが正門付近に達するや、原告は、守衛所屋上から飛びおり付近の学生と二言三言言葉を交した後、構内奥に走って行った。そして機動隊は、明治学院大学の要請を受けて構内に侵入していた学生らの排除活動を行っていたのであるが、原告は乙山太郎らとともに、学生の退去を求める和田学長らの要請を無視し同大学のヘボン館付近でスクラムを組みデモを展開して右排除活動に抵抗する一群の学生の先頭に立ちこれを指揮煽動した。しかし、やがて学生らも積極的抵抗を断念し、機動隊によって正門付近まで誘導されていったが、当時正門外の路上には多数の学生が滞留しており、また正門の両扉が閉まっていて同所から多人数の同時退去が困難な状況にあったところから、原告は乙山らとともに、数十人の学生の先頭に立って正門前構内に踏みとどまり、再び機動隊に対峙してスクラムを組んだりシュプレヒコールをあげるなどし、あくまで構内から退去しようとはしなかった。このとき、かねてより同大学正門付近にいて原告らの行動を監視していた山田、一村両警察官は、原告が現に大学構内に侵入して退去せず、しかも一群の学生に対して建造物侵入(不退去)を指揮煽動したリーダーの一人であると認めて、現行犯逮捕した。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

そして、《証拠省略》によれば、原告は、当初明治学院大学では門を閉ざしており学生が門前付近に集まってきているとの情報もその入構前に得ていたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はなく、右事実に前記認定の原告入構当時の正門付近の状況及び入構後の原告の言動、とくにそのアジテーションの内容等をあわせ考えれば、原告は明治学院大学正門から入構した当時、同大学が学生の立入を禁止していることを十分知悉していたものと推認されるのであって、《証拠省略》中、右認定に反する部分は採用することができない。なお、《証拠省略》中には、明治学院大学では通例いきなりロックアウト措置をとることはなく、まず休校措置をとった後、これが功を奏さない場合には鉄板などをめぐらせたロックアウト措置に入るのが常であったところ、当日原告が入構したときには正門両扉は通常のように開扉されており学生らも三三五五入構していたとの部分があるが、それは直ちに前記認定を左右するものとはいえず、他に右認定を左右する証拠はない。

以上認定の事実によれば、山田警察官らが、原告は前記の被疑事実に符合する時刻、態様によって明治学院大学に侵入したと判断したのは事実誤認の疑いが濃厚である。しかし、侵入の時刻、態様を異にするとはいえ、原告は、明治学院大学が学生の構内立入を禁止していることを知りながらあえて構内に侵入し、現行犯人として逮捕されるまで継続して構内にとどまっていたものであり、山田警察官も原告が現に立入を禁止されている大学構内にいることを現認していたのであるから、同警察官が原告を建造物侵入(不退去)罪の現行犯人として逮捕したことには国家賠償法上何らの違法もないというべきである。なお、建造物侵入罪が成立する場合には、退去しない場合でも不退去罪が成立することはないけれども、それは建造物侵入罪が継続犯であるため不退去にある状態をもなお侵入行為の継続として評価し尽くすことができることによるのであって、右不退去状態の違法性に消長をきたすものではないから、本件において山田警察官らが建造物侵入罪のほか不退去罪の成立を認めて原告を逮捕したとしても、それは国家賠償法上違法と評価しうるものでないことは明らかである。

以上のとおりであるから、原告の被告東京都に対する請求は前提を欠き、その他の点について判断するまでもなく理由がない。

二  被告国に対する請求について

市川敬雄が昭和四九年一月二八日当時東京地方検察庁の検察官として被告国の公権力の行使にあたる公務員であったこと、同検察官が同年二月一八日東京地方裁判所に対し原告について建造物侵入罪により身柄拘束のまま起訴(公判請求)したこと、同裁判所が同五〇年一二月二二日右事件につき無罪判決を言渡し右判決が同五一年一月六日確定したこと、以上は、原告と被告国との間で争いがない。

そして、《証拠省略》によれば、右公判請求における公訴事実は「被告人(原告)は、学費値上げ反対等を呼号して、ほか数名の者と共謀のうえ、昭和四九年一月二八日午前九時三〇分ころ、同日午前七時三〇分ころ以降の構内立入が禁止されている東京都港区白金台一丁目二番三七号明治学院大学(同大学学長和田昌衛管理)において、たまたま同大学が工事用貨物自動車を閉鎖中の正門から入構させた機に乗じて、同正門を押し開き同所から同大学学長らの制止を排して同大学構内に押し入り、もって、他人の看守する建造物に故なく侵入したものである。」という内容であること、その後公判が進行する過程で検察官は、「被告人(原告)は、学費値上げ反対等を呼号して、ほか数名と共謀のうえ、昭和四九年一月二八日午前一〇時四〇分ころ、構内立入が禁止されている東京都港区白金台一丁目二番三七号明治学院大学(同大学学長和田昌衛管理)構内に正門から押し入り、もって、他人の看守する建造物に故なく侵入したものである。」という予備的訴因を追加したこと、ところが、右事件を担当審理した東京地方裁判所(刑事第二四部一係裁判官)は、本位的訴因について証明なし、予備的訴因について可罰的違法性なしとして、無罪の判決言渡をしたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

そして、《証拠省略》をあわせると、市川検察官が原告につき建造物侵入罪で公判請求するに際して参照していた資料は、(イ)送致書、(ロ)現行犯人逮捕手続書、(ハ)捜索・差押調書、(ニ)押収品目録交付書、(ホ)弁解録取書、(ヘ)原告の司法警察員に対する供述調書、(ト)被疑者取調べ立会状況報告書、(チ)一村警察官の現認報告書、(リ)山田警察官の現認報告書、(ヌ)追送書、(ル)原告の母甲野花子の司法警察員に対する供述調書、(ヲ)原告の司法警察員に対する供述調書、(ワ)捜査報告書二通、(カ)追送書、(ヨ)被疑者取調べ立会状況報告書、(タ)山田警察官の検察官に対する供述調書、(レ)丙川春夫の検察官に対する供述調書、(ソ)和田学長の検察官に対する供述調書、(ツ)追送書、(ネ)被疑者取調べ立会状況報告書、(ナ)和田学長の検察官に対する供述調書、(ラ)永野公弘の検察官に対する供述調書、(ム)一村警察官の検察官に対する供述調書、(ウ)中村総務部長の検察官に対する供述調書、(ヰ)追送書、(ノ)原告の司法警察員に対する供述調書、(オ)被疑者取調べ状況報告書、(ク)司法警察員米山道夫作成の写真撮影報告書、(ヤ)勾留請求書、(マ)勾留質問調書、(ケ)追送書、(フ)司法警察員永野公弘作成の写真撮影報告書、(コ)司法警察員米山道夫作成の写真撮影報告書、(エ)被疑者居住確認捜査報告書、であり、更に(テ)中村総務部長、(ア)和田学長、(サ)山田警察官の刑事公判廷における各証言内容も実質上把握していたこと、以上の各資料のうち市川検察官が最も重視したものは、山田、一村両警察官、和田学長及び中村総務部長の現認報告書、供述調書((チ)、(リ)、(タ)、(ソ)、(ナ)、(ム)、(ウ))であったことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

そこで右各資料を検討すると、そのうち公訴事実(主位的訴因)を積極的に裏付けるものは、山田、一村両警察官の現行犯人逮捕手続書、各現認報告書及び各供述(調書)((ロ)、(チ)、(リ)、(タ)、(ム)、(サ))であり、これに和田学長及び中村総務部長の各供述(調書)((ソ)、(ナ)、(ウ)、(テ)、(ア))をあわせれば、明治学院大学正門付近で捜査中の山田、一村両警察官は前同日午前九時半ころ原告と思われる学生が乙山太郎ほか一名の学生らと共謀のうえ、同人らに引続き教職員の制止を無視して、同大学正門から構内に侵入したことを目撃し、また中村総務部長は同日午前一〇時半ころ明治学院大学正門守衛所前の構内に原告が既に侵入しておりかつ同所でアジテーションを行っていることを目撃したことが認められるのである。これに対し消極的資料としては、和田学長及び中村総務部長の各供述(調書)((ソ)、(ナ)、(ウ)、(テ)、(ア))があり、これらによると、和田学長及び中村総務部長は前同日午前九時前から午前一〇時半ころまでの間明治学院大学正門前構内にあって、学生らの動向、侵入状況を監視していたのであるが、午前九時半ころに正門から侵入した学生は少人数であったにもかかわらず、かねてよりその容貌等を良く知っていた原告の侵入行為は目撃していないことが認められる。加えて、《証拠省略》によれば、山田、一村両警察官は現行犯人逮捕手続書((ロ))、及び各現認報告書((チ)、(リ))においては原告が乙山太郎とともに正門から最初に侵入した学生であるとしていたのに、その際の状況を撮影した司法警察員永野公弘作成の写真撮影報告書((フ))によれば、それが原告以外の男であることが判明したことから、市川検察官からその点の取調を受けた際に、記憶違いを理由に原告の侵入時期を若干ずらし侵入行為の態様も異にした供述をするようになったことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

以上認定の事実によれば、前記のような積極資料があるとはいっても消極資料も侮れず、原告が公訴事実(主位的訴因)記載の時刻・態様で明治学院大学に侵入したと断定するにはなお疑念を挾む余地があるとはいえ、原告が侵入したとされた当時正門付近には多数の学生が参集しており騒然とした状況にあったことはさきに認定したとおりであり、このことは検察官の前記手持資料からも充分に窺い知ることができるから、そのような状況のもとにおいては、捜査活動の専門家である山田、一村両警察官の目撃状況をとりわけ重視し(また、両警察官の前記のような供述変更も、右のような状況を考慮すればとりわけ不自然不合理とも考えられない。)、これによって原告が公訴事実(主位的訴因)記載の犯罪を犯したと判断することも、客観的にみてなお著しく合理性を欠くものとはいえない。

また検察官の前記手持資料によれば、原告が遅くも前同日午前一〇時半ころまでには明治学院大学に故なく侵入し逮捕時まで大学構内から退去しなかったこと(ほぼ予備的訴因に符合する。)は優に認められるものであるところ、市川検察官もその手持資料により把握していたと認められる前記認定のような他の学生を煽動するなどの原告の構内侵入後における一連の言動及びこれによって推認される原告の侵入目的その他右資料から窺われる諸般の事情をあわせ考えると、原告の右侵入及びその継続行為が可罰的違法性を欠くものとして不起訴とするのはむしろ困難であるというべきである。

以上によれば、刑事事件において原告が無罪とされその判決が確定したとはいえ、市川検察官のした起訴(公訴提起)が国家賠償法上違法であるとは到底いえない。従って、原告の被告国に対する請求も前提を欠き、その他の点について判断するまでもなく理由がない。

三  結論

以上のとおり原告の被告らに対する請求はいずれも理由がないから棄却を免れない。

よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 篠原幾馬 裁判官 和田日出光 佐藤陽一)

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